ONISHI SEISAKUSHO
大西製作所

大阪、日本 OSAKA, JAPAN

文具業界で「ペンの父」として愛されている文具界の伝説、加藤清氏のブランドをご覧いただきたい。

加藤氏は、第二次世界大戦の直前にペンメーカーでもあった父親が亡くなった後、19歳でペンの製造を始めた。

加藤氏は裏庭に大量のセルロイド棒を埋めていたそうだ。

終戦後、彼はこれを掘り起こし、自身のペン製作会社「カトウセイサクショ」を設立した。

Onishi Seisakusho
M kato
M kato ohnishi seisakusho
atelier mr kato
mr-onishi

唯一無二の知識と技術-1920年以来大阪で受け継がれてきた方法

1920年代以降、手回しのセルロイドペンを製造する、かつて活況を呈していた大阪のペンメーカー業界の最後の軌跡を紹介したい。 加藤氏と弟子であった大西氏は、ここ数十年の間にこの貴重な工芸品の保存に努めてきた。

大西氏の作業机にいくつかのノギスが見えるが、実はこれは殆ど使用されない。

彼が一からをペン作りる時、その熟練された目と手の感触でセルロイドやアセテートの重さを感じることで、ペンが完璧なシルエットに達したかが分かる。

ペンを構成する極小の各部品にすら目で見てネジを組み込んでおり、完璧な仕上がりに妥協がない。

大西氏はこのスキルを習得するために10,000時間以上を費やしたと言っても過言ではない。

工具でセルロイドを切断すると、素材の個々の色が生き生きと現れる。研磨すればまるで宝石のようだ。

最後に、個々の部品を熟練の技で組み立てて完成する。

大西万年筆にはドイツ製ファインシュミットのペン先が付いており、なめらかで日常的な筆記にも最適だ。

 

美しい密度、輝き、重さを持ち、何よりもその鮮明かつ神秘的な模様を持つセルロイド。

残念ながら、ペンを作るための素材としては殆どその存在を拝めなくなっている。

今日では、高級眼鏡製造等ほんの一握りの産業でのみ使用されている。

 日本でのセルロイドの生産はほぼ完全に停止しており、

 2010年に85歳で加藤氏を亡くなった後継者である大西氏は限られた量の材料を使い続けている。

残念ながら、日本でのセルロイドの生産が終了したため、廃止された材料の代わりに酢酸セルロースを使用する必要があった。

 セルロイドと同じく、過ぎ去った時代の骨董品の感触と、飽きることのないノスタルジックな魅力を持っている。

コレクション

stylo plume Onishi Seisakusho noir
stylo plume Onishi Seisakusho écaille de tortue
stylo plume Onishi Seisakusho feuilles de cerisiers
stylo plume Onishi Seisakusho camo
stylo plume Onishi Seisakusho marbre bleu
stylo plume Onishi Seisakusho marbre rouge

べっ甲からさくら、迷彩、大理石まで、是非ウェブサイトでコレクションをご覧ください。

stylo plume Onishi Seisakusho marbre noir

1本のペンを作るのにかかる作業量について考えたことはあるだろうか。

大西製作所のペンはそれぞれ、業界ではもはや神話になりつつある大西氏自身が製作している。

大西氏は「ペンの父」加藤氏のもと研鑽を積み、2010年に85歳で加藤さんが亡くなった後、その会社を引き継いだ。

彼は同じ素材を使った筆記具の製造を続け、加藤氏のモットーである「それを望む人々がお求めしやすいペンを作る」という精神を受け継ぎ 大切にしている。

大西製作所筆記具は決して安くはないが、日本の漆で装飾されたペンなどの工芸品と比較すれば、非常に手頃な価格と言える。

万年筆づくりの伝説的存在

師匠、加藤清氏

加藤氏が世界でペンを売り歩いたその人生に逸話は尽きない(例えば中東でラクダに乗って、刑務官に日本の万年筆で賄賂を贈ったという話!)。

そんな加藤氏の話を聞くと、彼ペン作りの達人であったのと同じく、才能のあるセールスマンであったのだと思う。

80年代以降、残っている数少ないセルロイド職人のスペシャリストの1人として、彼はViscontiなどの高級ペンブランドからセルロイドの特別版を少量生産するよう熱望されるほどであった。